「手」による癒しの可能性

母親が赤ん坊の看病をしているところを見るがいい。熱があるひたいにそっと手をあて、胸にやさしく抱き、安心となぐさめで包みこんでいる。やさしくふれるだけで、泣いている赤ん坊がおとなしくなるのはめずらしいことではない。

ギリシャの名医ヒポクラテスは患者を治療しているときに、自分の手から癒しの力が光のように輝いていることに気がついていた。その輝きについて、かれはこう書いている。

「それは患者の苦しみをやわらげているときによくあらわれた。病んでいるところに手をあてると、あたかもその手に不思議な力が宿り、それが痛みやさまざまな不純物をひきずりだし、はがしとっているかのようであった」

わたしもまったく同じように感じることがある。ときどき、患者の苦痛をやわらげているさなかに、自分の手がなにか名状しがたいものに満たされ、それが手をつうじて痛みや不純物をとり除いていると感じることがあるのだ。

現代医学の医師でこの手あて術を活用している人はほとんどいない。患者との密接かつ賦活的な接触を失っているということだ。

『いのちの輝き -フルフォード博士が語る自然治癒力-』ロバート・C・フルフォード&ジーン・ストーン著 p.105

「手」が引き寄せられる

「手の平からエネルギー(気)が出ている」ということに対し疑問を持っている方でも、腹痛のときはお腹に、頭痛のときは頭に、自然と「痛みがあるところ」に手を当てていると思います。

肉体的な痛み以外にも、驚いたときは胸に、突然のハプニングで動揺しているときは頭を抱えたりと、まるで「手」がエネルギーの乱れがある場所に引き寄せられるように、無意識に移動しているのではないでしょうか。

僕の場合、施術中は手の平と患部のわずかな隙間に「炭酸水の泡」のようなパチパチとした感触を得ることが多いです。(微炭酸もあれば、超炭酸もあります。)特に腸もみ・按腹(あんぷく)をやっているときは顕著で、上の引用文にある、「痛みや不純物」が浄化される時の反応と考えています。

引用・参考文献

いのちの輝き―フルフォード博士が語る自然治癒力(amazon)

トップへ戻る