「他人の目」から自由になる

他人が自分のことをどう思うか、いわゆる「他人の目」を過剰に気にする人も多いと思います。

なんでも「ダメ」というしつけの厳しい親や、愛情があっても「過干渉」な家庭に育てられた人にも多いかもしれません。

子供の頃に親から言われた「ダメ」が、今度は心の声が自分自身に「ダメ」という。
あなたもそんな「セルフダメ出し」をしていませんか?

「ダメ出し」ばかりしていると、何をするにも「自分はやっちゃいけない感」がつきまとってどこか不自由なのです。

では、この「不自由」はどこから来るか。
下の図をご覧ください。

自己への執着

「なにを考えているんだろう?」
「変な人だと思われてる?」
「嫌われたかな・・・」

一見、相手のことを考えてそうですが、矢印は「自分←←←自分」で、自分に対して執着しているのがわかります。

相手が自分のことをどう見ているかという「妄想」で頭がいっぱいなようです。
言うまでもなく、他人の目とは「自分の中」にあります。

他人は(自分のことを)どう思うか、(自分が)気になる。
あなたの価値基準が、他人の評価にしばられている状態です。

「他人の目」を気にするあまりに、一度きりの人生が不自由なものになっているとしたら、あまりにもったいない話だと思いませんか?

矢印(意識)の方向

自分が「他人にどう思われるか」ばかりを気にしているとき、矢印は自分に向かっていることになります。

そしてその矢「←」を握っているのは、いつも自分自身です。

それでは、こちらの図はいかがでしょう。

他者への関心

「なにをすれば、この人の役に立てるだろう?」

矢印は「自分→→→相手」へと変わり、「自己への執着」から「他者への関心」にシフトしています。

矢印を180度ひっくり返すことで、「自己への執着」を手放し心が解放されるのです。

アドラー心理学のベストセラー、『嫌われる勇気』でもこう書かれています。

他者はどれだけ自分に注目し、自分のことをどう評価しているのか?
つまり、どれだけ自分の欲求を満たしてくれるのか?
……こうした承認欲求にとらわれている人は、他者を見ているようでいて、実際には自分のことしか見ていません。
他者への関心を失い、「わたし」にしか関心がない。
すなわち、自己中心的なのです。

岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)より

ぼく自身も、「他者からの評価」ばかりを気にしていては、このようなブログは一文字さえ書けないと思います。

自分の「意見」を言うということは、いつだって他者からの評価と批判がセットです。
発言しなければ波風も立ちませんが、その代わり誰一人救うことはできません。

だから、他者への関心を忘れずに「たった一人でも必要な人に届けばいい」という気持ちで、いま書けることをぼくなりの言葉で表現しています。

他人からどう思われるかはコントロールできない

人は人を変えられません。
唯一ハンドルを握っているのが「自分の意思」です。

隣で走っている車のハンドルを回すことはできないように、人の気持ちはコントロールできません。
(無理やり人のハンドルを掴むと双方事故を起こします)

そう考えると、「自分でコントロールできないこと」で思い悩むのは時間とエネルギーのロスとなり、他人の評価に依存した「不自由」な生き方です。

自己への執着を手放すには、そのエネルギーを「他者への関心」に向ける必要があります。
人間関係に悩んだら「矢印」を思い出して、頭の中でひっくり返してみてはいかがでしょう。

まとめ

他人の目が気になるのは、「自己への執着」。
矢印の向きを「他者への関心」に切り替えて、不自由な心を解放する。
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